山 口  貴 子
2004 Trip to SINGAPORE
シンガポール 旅の日記
〜Asian Magic〜
2004年3月16日号                                     

シンガポール旅行記

カクテルの旅
スコットランドへ渡り、ウイスキー蒸留所を訪れたのがもう十年近く前になる。温かい風が吹くのに乾いていて、野草の緑も枯葉の錆色もいつからそこにあったのかと、百年以上前から同じであろうレンガの壁は土の塊というよりは石に近い。すべてがどこか褪せていて昔の国。天災もなくずっとそのまま。蒸留所でも麦が発芽してむせ返る様な熱気、強烈な甘い匂いの醗酵槽もきっと昔から。パブでパイントを傾ける人々も何世代目?
ジュラ蒸留所のおじいさんが言った「ジュラは昔から変わらないけど、NECのFAXが入ったよ。」インヴァネスのパブで隣の人は「君たちは健康だ、新しいものを作り続ける。僕たちは昔の中でマッキントッシュをいじってるんだ。」ダフタウンのバーで一緒になったバカンス中の同性愛カップル、どこでも時間は流れている。
「いらっしゃいませ。当店はモルトウイスキーが専門ですが洋酒全般です。」風土と歴史と人(神と欲望と現代人?)にもまれて生まれる酒。一方、カクテルは飲み手と作り手が生む一瞬の出来事。酒はロマンティックで遠く思いを馳せ、カクテルはセンチメンタルに今を刻む。一度カクテルを堪能してみようか。ニューヨークのマンハッタン?西海岸のカリフォルニアレモネード?イタリアのベリーニ?・・・新しい酒。まずはラッフルズホテルのシンガポールスリングにしよう。


「2004 Trip to SINGAPORE 〜Asian Magic〜」


2004年の旧正月、1月22日の名残であちらこちらにお猿さんのいる中国人街



とてもカラフルな中国人街


古い建物、タイガー・ビールとバイクの多いインド人街


洗濯物を国旗のように干した集合住宅。
危なくないのかと思い、取り込むところを見ていたが、習慣のなせる早業。



ボートギーのロンドン・パブ


ロング・バーのもう一つの顔ラウンジ形式のステーキ・ハウス。酒のパブ、食事のラウンジがワンセットなのも英国流。


客室は全室スイートで別棟。
門が硬く閉ざされている。



ゆっくりと気ままな昼下がり



珍・チャールズ皇太子の集めた骨董品の数々が展示されているコレクターズ・ルーム。英国人の収集癖は留まる所を知らない。
ざ、ラッフルズへ    
背の低い純白の建物には幾つもの飾柱が立ち、恰幅のいいインド系のベルボーイが白に金の縁取りをほどこした制服に丸帽でエントランスを動く。1887年アジアの楽園をイメージして作られた英国式ホテル。当時はホテルの前がすぐ海岸だったらしいが、ウォーターフロント開発で今は高層ビルの中にいきなりあってかなり残念。きれい好きな国シンガポールだが、ここだけは治外法権?さりげなく灰皿があり気分に任せて一服している。愛煙家の多いイギリス人の色が濃い。一歩外に出れば、極東の地日本の侘びた感じと違って熱いアジアは観念的でどっしり重い。湿度が高く肌に張り付くようにむっと迫る熱さはどこか淫靡で、これが噂のアジアンマジック?
シンガポールは小さい国で中でも都市部は狭い。ウォーターフロントの高層ビル街・銀座四丁目みたいなデパート街・賑やかな中国人街・鄙びたアラブ人街・昔風のインド人街が合わさった、フュージョンな都市。人も中国系7割にマレーシア・インド・アラブと混じり、欧米と日本から来た在住ビジネスマンが加わる。それぞれ生活圏が分かれていて、飲食もいろいろ。(religious reason?)よくよく考えると、ラッフルズはごり押しのイギリスでマーライオンがシンガポールなんだと気づく。

場所がない
どこにいても落ち着かなくて困った。よく言われたのが「Are you Singaporian?」私はマレー系シンガポール人に見えるらしい。女一人の観光客は少ないからだろうか。しかしこれが厄介だった。現地の女性は普通ラッフルズにはいないし、街場のバーでひとり酒も飲まないからカウンターに腰掛けると周りの奇異な眼差しと戦わなくてはいけない。現地添乗員にくどく言われたことを納得・・・ここは女性一人で行動するには向かないところ、ツアーに参加するよう強く勧められたっけ!そうはいっても慣れてしまえばこっちのもの。わざとガイドブックを出したりしてアピール、変な観光客?結構親切にしてもらえた。

ンガポールスリングを生んだロングバーへ
ここは美しい。植物の熱い緑が白壁に浮かびオレンジの外灯が闇にこぼれ、軽く人の話し声がする幻想的な中庭。いつまでも歩いていたくなる。二階の白い回廊を進んでいくと、ロングバーのサインが見える。店内は木造りで広く、天井で揺れる藁の扇子とピーナッツの殻をついばむ小鳥たちが南国らしい。カウンターはイギリス調の造りでバーテンダーは白いタキシードに身を包み、マレーシア伝統の布を巻いたウェイターたちがいる。エメラルドに灯るスタンドはサマセットモームからバカンスを楽しむ人まで百年を超えて照らしてきた。バックバーに並ぶボトルはそう多くないものの、とにかくみんなシンガポールスリングを飲んでいる。席に着くと、開口一番「Singapore Sling?」と聞かれてしまう(笑)。戴いてみると色鮮やかでとても飲みやすく調整しており、ジンが少なくパイナップルジュースが多い印象を受けた。ラッフルズは年齢層の高いホテルなので気を使っているのかも。カウンターに山盛りのピーナッツが置かれ、殻は床に捨てることになっているため小鳥たちが居ついている。
バーテンダーと話しているとシンガポールスリングができたのは1915年とのこと。こんなに長く一種類のカクテルが愛されるバーも、なかなかないだろうと感嘆。何度となく試行錯誤され2015年の百周年にはどんな姿になっているのだろう。敵はイタリア・ハリーズバーのベリーニか?対照的で面白い。ヨーロッパは、乾燥して寒暖のある風土と酒を伴うキリスト教が土地にあう美酒を生み、ベースになる酒の印象が強い。アジアは酒と宗教は交わらずいつまでも人の手を感じる地酒を作り、カクテルという混成酒を新しく作り出した。アジアのバランスのよいカクテル技術は高く評価されている。さて、歩いたせいかあっという間に飲んでしまいお替り。営業時間が午前中から深夜までと長くここはいろいろな表情を持つ。個人的な好みだが、ロングバーは昼下がりがおすすめ。人が途切れる時間で、まったりとしてカウンターに物静かな常連がいて日差しが少し寂しげで。バーテンダーが夜の準備をしながら老紳士と四方山話をしている。とてもバーらしい。夜はバンド演奏も入り賑やかで、楽しいひと時になる。
然見つかった、ハリーズ・バー
シンガポールスリングを飲みながらベリーニを考えていたら、その夜偶然にもハリーズバーを見つけた。ボートギーというシンガポール川沿いのムーディーな夜の飲食店街で、トロピカルなカフェに始まり、各国のレストラン、バーへと続きホテルフラトンで終わる。川沿いに用意されたテーブル席はアフター5を楽しむビジネスマンで賑わい、通りを挟んでずらりと店が並んでいる。一軒一軒呼び込みがいて、「夕食はもう済んだかい?」「美味しいお酒はどう?」と声をかけられるのでなかなか先へ進めないが、魅力的な店も多く楽しい通りだ。中国系の人はどこか真面目で照れ隠しに冗談を交えて声をかけ、インド系の人は熱い視線で「hello,madame」と迫ってくる。(後ろの女の子たちはmademoiselleだったのにショック!)イタリアの姉妹店なのかと興味津々で入ってみると、ベリーニを飲んでいる姿は少なく、ビジネスマンと数組の観光客。カウンターでおすすめの人気カクテルを注文、とても面白い一品だった。シューターと呼ばれる最近のもので、ショットグラスに数種の酒を混ぜ一気に飲む。何種類か以前当店でも出していた。1・ショットグラスにスコッチを注ぎ、ソーダで満たす。2・上からオールドファッションドグラスをかぶせひっくり返す。3・そこにメロンリキュールを注ぎカウンターに叩きつけてショットグラスを抜く。泡がブワッと一瞬出てエンターテイメントたっぷりのカクテル。旨い不味いはともかく楽しめた!
テルフラトンのカクテル談義
シンガポールスリングと流行のカクテルを味わったところで、スタンダードカクテルに戻ってみようと技術評価の高いフラトンへ。いかにもホテルバーらしい毅然として静寂な空間に蝶ネクタイにベストの行儀のいいバーテンダーが卒なく動く。何か軽めのロングドリンクスをと頼んだら、「シンガポールスリングじゃないほうがいいですね」とにっこりされ思わず笑ってしまった。作ってくれたトムコリンズを飲みながら、私も実は日本でバーテンダーをしているというとカクテル事情に花が咲いてとても勉強になった。洋酒・カクテルの基礎知識は共通だが、その国々でバーテンダーに求められるスペシャルカクテルがある。「ここはラッフルズに勤めてなくてもシンガポールスリングを文句なく作れないと失格だよ」「東京はドライマティーニ」お互い英米の影響だろう。「フラトンのオリジナルをと作ったカクテルがありますが」次にそれをと注文すると、シャンペングラスにさっぱりした飲み心地の、ほどほど強い格好いいカクテルだった。「マーライオンカクテルです(笑)」仕事はどこでもつらいのだ!

後の夜、素晴らしいモルトに出会う
ラッフルズ正面左手にプールバーの入り口がとても魅力的にひっそりある。ビリヤードをやる気分ではないが、一杯寝酒にと寄ってみたら小さいカウンターに数本の古いモルトがあった。中でも目を引いたのが、1967年蒸留のゴードン&マックファイル詰モートラック。鳥のいる黒にオレンジ縁のラベル、当店でも10年前にあって以来ずっと探していて見つからない一本・・・.残り3杯というところ、とりあえず一杯頼んでバーテンダーと話すうちボトルを売ってもらえないかと交渉してみた。お互い冗談を言いながらも、支配人に電話をして粘ってくれたがコレクションだからとやはり駄目だった、残念。皆さんの口まで届かず力不足でゴメンナサイ!気候のせいかシンガポールでは酒はあくまでも楽しむための社交場の添え物。酒に薀蓄はない。フランスでは口説くためのもの、イタリアでは美味しく食べるためのもの、中国では宴を盛り上げるためのもの。ユーラシア大陸両端の島国、イギリスと日本がマニアックに穴蔵で酒を飲む。これも風土のせい?島国という悪条件で経済成長を築いた騎士と武士が一杯やる姿、殿方のもの?(フェミニスト愛好家協会に訴えられそうだが、最近は性別を越えているのも事実。これも悲しいような・・・!)

の仕事に出逢えて
初めての一人旅、少し緊張しましたがその割りによく飲みました(笑)。何も考えず久々にカウンターに腰掛けた気がします。酔いに任せどこでもバーテンダーとよく喋り観光客として無邪気に、同じバーテンダーとして情報交換を貴重なひと時でした。予定の仕入れ業務が難航してしまいお許しください。ロングバー式シンガポールスリングの作り方をじっくり教わり、今年の夏は乞うご期待です!世界にある酒はまだまだ呑み尽くせません、旅もカスクも続きそうです。これからもよろしくお願い申し上げます。

今回のシンガポール旅行にたくさんのアドバイスを下さったお客様のN.F氏に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。