Behind the BAR
カクテルのお話 PartU
「ギムレットには早すぎる」
2001年7月15日号                                              
 多くの男性の方は、一度は読んだことのあるのではないでしょうか?レイモンド・チャンドラー。ほとんどパロディーになってしまいそうなキザな台詞と古臭い雰囲気が漂うすべての場面設定。でも、多かれ少なかれ彼の作品との出会いがバーに足を踏み入れるきっかけとなった人も多いはず…
 カクテルのお話PartUは、「ショートドリンクス」がテーマ。やっぱり、この手の作品なくしては語れないのではないでしょうか。
時代錯誤な男性的な世界の中で描かれたカクテル。前回の軽いノリのカクテルたちとは一線を隠す様式美的なカクテルたち。
今よりも、男が男らしく、女が女らしかった時代の風景から、古典カクテルが持つストーリー性と酒場の様式美を考えてみたいと思います。
「ギムレットには早すぎる」

 いわゆるAuthentic BARとのはじめての出会いは、レイモンド・チャンドラーとの出会いから始まった、と言ってもいいのかもしれない。
当時高校生だった私が、BARと言う空間に特定のイメージを意識的に描いたのは彼の代表作「長いお別れ」を手にしたときからであった。それまでは漠然とBARに対するイメージを抱いていたが、ちょっと背伸びして出入りしていたカフェ・バーとの違いに気付いたのはその頃だった。ジュースみたいなカクテルを飲んでいたのに比べ、初めて口にしたギムレットは当時の私には強すぎるカクテルだった。
 ハードボイルド派の巨匠チャンドラーが描いた酒場の風景、カクテル、登場人物たちはBARにおける一種のバイブルだと思っている。ショートドリンクスと言う、古典的なカクテルを考えるとき、どうしてもそのバイブルを紐解いてみなくてはならなかった。以下すべて、「長いお別れ」からの引用を用いて、酒場とカクテルについて考えてみたいと思う。

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引用1

「ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。店の中の空気がまだきれいで、冷たくて、何もかもぴかぴかに光っていて、バーテンが鏡に向かって、ネクタイがまがっていないか、髪が乱れていないかを確かめている。酒のびんがきれいにならび、グラスが美しく光って、客を待っているバーテンがその晩の最初の一杯をふって、きれいなマットの上におき、折りたたんだ小さなナプキンをそえる。それをゆっくり味わう。静かなバーでの最初の静かな一杯ーこんなすばらしいものはないぜ」
私は彼に賛成した。
「アルコールは恋愛のようなもんだね。」と彼は言った。
「最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激が無い。それからは女の服を脱がせるだけだ」
「そんなに汚いものか」と、私は訊ねた。
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 ハンサムで女あしらいに長けていて、生まれてから一度も女との縁が切れたことの無いような男、テリー・レノックスの台詞。一方、酒に対しても、女に対してもシリアスで、"まともな"考えをもつマーロウが訊ねる台詞。この会話が交わされているのは、<ヴィクター>のバー。二人が飲んでいるのはギムレット。これはマーロウの趣味ではなく、テリー・レノックスの趣味。あけたばかりのキーンとはりつめた空気の中で会話が交わされるその光景は、いかにも儀式的。酒場の風景の古典にほかならない。
ところで、ギムレット。どんなカクテルを思い浮かべるかによって、この場面の深さと面白さは違ってくる。もし、この場面を読んでフレッシュのライムを使ったドライなそれを連想したとしたら、テリー・レノックスのキャラクターを表す小道具としては趣を異にする。ちなみに、レノックスのギムレットの講釈は次のようである。

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引用2

「ギムレットの作り方を知らないんだね」と彼は言った。
「(中略)ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、ほかには何も入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない。」
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 もし、このレシピに従って、ギムレットを調整したら甘くて飲めたもんではない。とくに、現代においてはこんなに不味いギムレットは無いと思われるかも知れない。しかし、あくまでもレノックスのギムレットはこれでなくては意味が無いのである。
 さて、このレノックス好みのギムレット、マーロウはどのようにその味を表現しているのであろうか。
 レノックスはメキシコに飛び、後日マーロウは附に落ちない結末に疑問を抱きながら、レノックスの最後の願いであった、「…中略…ぼくのために<ヴィクター>でギムレットを飲んでほしい。それから、…以下略」の願いを叶えるべく、一人ヴィクターを訪れる。

(注)マルティニ…現在では、マティーニと表記した方一般的かもしれません。チャンドラーの作品を
          ほとんどすべて翻訳された清水俊二氏の当時の翻訳そのままに引用いたしました。

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引用3

<ヴィクター>はドアから入ったときに体温が下がるのが聞こえるほど静かだった。
(中略)
バーテンは私にうなずいたが、微笑は見せなかった。
彼は私の前に小さなナプキンをおいて、私の顔を見つめた。「じつは、いつかあなたがお友達と話していらっしゃったのを聞いて、ローズのライム・ジュースを仕入れたんです。その後、あなたがちっともお見えにならないんで、今夜はじめて開けたんです」
「あの友だちは旅に出たよ」と、私は言った。「ダブルにしてくれないか。それから、気を使ってもらってすまなかった」。
(中略)
 バーテンが私の前に飲物をおいた。ライム・ジュースのために、薄い緑色がかった黄色の神秘的な色になっていた。口をつけてみると、やわらかい甘さとするどい強さがいっしょになっていた。
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 無論、小説の中の話なのだから、現実にどこかのバーでマーロウやレノックスみたいな奴がいたらおかしくてしょうがないかもしれない。しかし、バー・カウンターで一人酒を飲むとき、多かれ少なかれクサイ芝居をしている自分がいないと言えるだろうか?恋愛をしているときはどうだろうか?
よく言われる台詞だが、「女性は、悲劇のヒロインになりたがる」と言うが、男性は、どこかマーロウのように不器用でキザだったり、レノックス的な部分が否定できなかったりするのではないか。だからかつて、BARは男性社会の象徴的な酒場と見られていたのではないか。男が一人、あるいは二人でクサイ芝居を演じる空間が古き良きバーの姿なのかもしれない。
かくして現代は何が男性的で、何が女性的なのかが曖昧になりつつある世の中。バーだって昔の姿のままでは生きていかれない。男女の区別なく人々を受け入れなくては、やっている資格が無い。
しかし、どんなに時代が変わってもBARの持つ、一つの側面は、舞台装置や映画のセットのような物で無ければならないのではないか。訪れたすべての人たちが、思い思いの台本を書くのである。その芝居をよりいっそう生き生きとさせるのがバーテンダーの仕事であり、上等な小道具が酒なのだ。そんな小道具の中にあって、ショートドリンクスは最も古典的で、最も効果的な酒だと思う。そのとりすました容姿、どこかこっけいな味わい、スタンダードのショートドリンクスは、クサイ芝居をはるかに超越した色あせることの無い、偉大な古典である。それをどんな人が手にしていようとも…
ところで、バーマン川本も、ここに登場したバーテンのように、古典を演じることもまんざらじゃないんです。
やっぱり、古いタイプなんですかね。

P.S
今回の原稿を書きながら、思い出したバーがあります。
"Tony's BAR"
女性は、男性同伴でないと入れないBAR。LADY'S DAYとかいって、女性の集客に一生懸命にならなくてはならない現代の飲食業の世界とは対照的。古典的で日本一すばらしいBARだと思います。
ところで、かつての"HIDAMARI"。そこまで男性優位ではなくても、全盛期にはそれに近いノリがあったかも!?
だからこそ、未だに「不思議な魅力のある店だった」と、言っていただけるのかもしれません。
あの重苦しい雰囲気、古く良きAuthentic BARの姿だったのかもしれません。 

                                                     今回はこれにて。それではまたの機会に…
 



今月の推薦図書



 "THE SAVOY COCKTAIL BOOK"  
Constable and Company Limited London

 古典カクテルを今に伝える一冊はこれしかないでしょう。初版は1930年と大変古い本です。言わずと知れたロンドンの老舗ホテル"SAVOY"のカクテルブックです。今ではそのレシピをそのままに調整するバーはほとんどありませんが、レシピに付随して挿入されたいかにも英国的なイラストが、一つ一つのカクテルの雰囲気を伝えるこの本は、バーテンダーのみならず一般のカクテルファンの方も一冊は手元におきたい古典です。
洋書ですが、大半がレシピの羅列なので読みやすく、ペラペラとめくっているだけでも楽しい本です。当店にも一冊常備していますので、暇つぶしにでもめくってみてください。
ちなみに、Savoy styleのカクテルは前出の"Tony's BAR"で楽しめます。トニーさんのバーでは、基本的にカクテルのレシピはSavoyに準じているようです。勿論、リクエストがあればSavoy Styleのカクテル、C&Sでもお作り致します。